ご案内
人類は高度な知能のおかげでこの数万年のあいだに世界中に分布を広げ、地球を破壊できるはどの科学技術をもつようになりました。
人類を取り巻く状況は劇的に変化したにもかかわらず、認知能力を含むわたしたちの生物学的な特徴は石器時代のままなのです。
つまり、わたしたちの環境世界と、現在人類がおかれている状況とのあいだには、かなりのずれがあるということです。
このずれの存在が環境問題の根源になっているのではないかと、わたしは考えています。
まずは、わたしたちの認知能力のうちで環境問題に関連していると考えられるものが、どのような特性をもっており、どのように形成されてきたのかを考えていかなければなりません。
そこで、わたしたちが進化の歴史のなかでどのように環境に適応してきたのかについて述べていきます。
さきに、遺伝とは塩基の配列パターンという情報が次世代に伝わっていくことであると述べました。
そこにさまざまな変異の出現とそのなかからの選択というメカニズムが働きます。
わたしたちがもっている遺伝子は、何らかのかたちでこの選択をくぐりぬけてきたものなのです。
生物のこれまでの歴史とは、遺伝情報がさまざまなかたちで世代を越えて受け継がれていくプロセスに他ならないのですが、進化生物学者R氏は、これを川の流れに喩えています。
わたしたちがもっている遺伝子は、約三五億年前とされる最初の生命誕生から時間のなかを綿々と流れてきた情報と考えることができます。
最初は一種類のものだった生物は、現在では数百万ともいわれる数の種に分かれています。
これは、最初は一本だった川が次々に支流に枝分かれしていくのと同じであると、R氏はいいます。
いちど分かれてしまった流れは、ふたたび出会うことはありません。
それぞれの流れのなかで独自に、遺伝子に突然変異が蓄積していきます。
そうして、もともとは同じ種たったものが異なる性質や特徴を備えるようになるのです。
この遺伝子の流れをさかのぼっていくと、だんだんと支流がひとつにまとまってきます。
やがては全ての現生種に行き着く流れが三五億年前くらいにひとつになるのですが、比較的近い時代に支流がまとまる種は、それだけお互いに似通った特徴をもっています。
例えばわたしたちとタコはかなり特徴が異なりますが、わたしたちにつながる遺伝子の川とタコにつながる川が分かれたのは五億年以上前と考えられています。
一方わたしたちとイモリはタコに比べるとまだしも共通の特徴が多いわけですが、イモリにつながる流れは三億年前くらいに分かれています。
動物の中でも、乳によって子供に栄養を与えて育てる種のグループを哺乳類といいます。
哺乳類につながる遺伝子の流れは一億年前ごろに他の動物と分かれました。
哺乳類の流れがさらにいくつもの支流に分かれているのですが、そのなかでも五〇〇〇万年前くらいに分かれたひとまとまりの支流を、霊長類と呼んでいます。
いわゆるサルの仲間で、わたしたちもこの中に分類されます。
わたしの仕事は霊長類の研究なのですが、わたしが研究している霊長類のひとつに、ワオキツネザルという種がいます。
ワオキツネザルは世界でもマダガスカル島の南部だけに分布しています。
頭の先から尻尾の付け根までの長さは四〇センチメートル前後、体重は約三・五キロ、大きめのネコぐらいのサイズでしょうか。
黒と白が帯状の模様になった長い尾が特徴です。
マダガスカルに生息している約三〇種の霊長類をレムールと呼んでいますが、そのレムールの仲間に分類されています。
日本の動物園でも飼っているところがあるので、その姿を目にしたことのある人も多いことでしょう。
しかしながら、サルといわれると、おそらくみなさんが思い浮かべるのはおそらくニホンザルでしょう。
日本は先進国のなかで野生のサルが生息している唯一の国です。
すこし山間部に入ると、野生のニホンザルの群れがいます。
純粋に野生のものではなくても、餌付けされている群れなら、京都の嵐山や長野の地獄谷、大分の高崎山などで簡単に見ることができます。
ニホンザルは非常に人間臭いサルです。
もちろん人間と同じ顔をしているわけではありませんが、基本的にはよく似ています。
表情も非常に豊かで、特にサルまわしに使われているニホンザルの立ち振る舞いなどは、まるで人間のようです。
一方ワオキツネザルには、あまり人間臭さは感じられません。
写真でお分かりのように、鼻づらが飛び出していて、まるで犬か狐のようです。
キツネザルという名前はここから来ているのでしょう。
おまけに鼻はわたしたち人間やニホンザルと違い、表面が湿っています。
これも犬とおなじ特徴です。
顔に表情があまりないこと、腕が短いこと、嗅覚に頼ったコミュニケーションを行い、時折臭腺を使って匂いづけをするところなども、わたしたちやニホンザルとは違う特徴です。
しかしながら、ワオキツネザルにはわたしたちと共通の特徴もあります。
たとえば手をみてみましょう。
わたしたちと同じ五本の指があります。
また親指と他の指が向かい合うようになつついていて、これのおかげで物をつかむことができます。
犬や猫の手は指が平行についていて、物をつかむことはできません。
爪のかたちもわたしたちと同じように、平たいかたちをしています。
これを平爪というのですが、一方犬や猫は鈎爪という、とがった爪をもっています。
次に頭をみてみます。
まず猫などの他の哺乳類に比べて脳が比較的大きいという特徴があります。
もっともニホンザルやわたしたち人間に比べるとかなり小さいのですが。
また、馬などに比べると両眼が前寄りについています。
このように、ワオキツネザルにはわたしたちと共通した特徴と、他の哺乳類に近い特徴のそれぞれがみられます。
つまり、霊長類の仲間と他の哺乳類が分岐したころに共通祖先がもっていたであろう特徴を、いまのワオキツネザルはもち続けていると考えられます。
今から約五〇〇〇万年前に、オモミス類、アダピス類と呼ばれる哺乳類のグループが存在していました。
このグループのなかで最も保存状態のよい化石は、北アメリカから出土しているノタクルトゥスという種のものです。
このノタクルトゥスは、いまのワオキツネザルなどのレムールの仲間によく似たかたちをしています。
現在の北アメリカには野生の霊長類は分布していないのですが、これは気候が比較的冷涼なため、霊長類の生息場所としては適していないからだといわれています。
しかし、現在と遠い過去では地形も気候も大きく異なっています。
当時の北アメリカは今よりもはるかに温暖だったのです。
かれらの身に何か起こったのかはよく分かりませんが、このアダピス類やオモミス類から、現在のレムール、ロリス、メガネザルといった原猿類に続く流れと、その他の真猿類に続く流れが分かれていったと考えられています。
原猿類は他の哺乳類と共通した特徴を保持したまま約五〇〇〇万年にわたって進化してきましたが、一方で環境への適応によってさまざまな固有の特徴も身につけてきました。
たとえばレムールだけをみても、実にさまざまな種がいます。
いちばん小さい種がミラーネズミキツネザル、平均体重なんと六〇グラムなのに対し、いちばん大きいのはインドリといい、約一〇キロあるのです。
体の大きさだけではありません。
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